Monoeyes / Dim the light
直訳すると、「薄暗い光」
1曲目。薄いギターのアルペジオから始まり、クラッチをあげるように速度を上げていく。賛否別れるこの始まり方を、僕はどこか懐かしく感じた。
ただ楽しくて酒を飲んだのはいつが最後だろう
思い出したのは、the autumn song の‘友達もみんな元気だし、これといって悲しいこともないよ’ってフレーズだ。
こう続く、
‘すべて順調に見えるんだけど、突然僕はどうしようもない孤独に襲われる’
どうしようもない孤独。どのみち僕たちは置いていかれる。
もともと、僕の中にはどこか喪失感があった。
組み立てたものは、いつか必ず崩れてしまうし、
今、目の前にあるものも、きっと必要じゃなくなる気がしていた。
絶望とは違う、諦めみたいなものが、どこかフワフワと僕の周りを漂っていて、
それによって自分を試される日を乗り越えられることもあれば、
それによって、抱えていたものや手に入りそうだったものを、簡単に手放してしまう日も多くあった。
Vo細美の書く世界は、いつも僕を軽くした。
どこにでもあると言ったオータムソングは、なくなってしまうとしても
ライブが終わってから、日常に戻ってから、朝起きて動き出す前、ふとしたときに、僕をあの瞬間に戻した。
「心の真ん中」が埋まったような気がした、最後の時間。
初めてmonoeyesの音源がラジオで流れたときを覚えている。
僕の音楽友達から、ほぼ同時に連絡がきた。ライブでしか会わない連中だったからもう数年、顔を見てなかった奴らもいた。
みんな一様に言った。
「戻ってきた」と。
いまいち意味がわからなかった僕が、そのラジオの音源をもらって、初めてその曲を聴いて、When I was a kingという曲名だと知らされたとき。
少し涙が出た。そして僕もいてもたってもいられなくなり、昔の音楽友達に連絡した。
君を傷つけたね、ごめん
毎日見る残酷なニュースに、我先にと道を闊歩するビジネスマンに
数値に追い越され、日常に振り回され、どうやらここは競争の世界だと思うたびに
諦めそうになった。
それでもよくかんばった方だと思う。評価をされ、恥ずかしくない給与をもらえるようになった。
おそらく周りから見れば順調に見えただろう。どうしたんだと言われながら僕は、仕事を辞めた。
いろんなひとがいる。
享受する人も、批判する人もいる。
その真ん中を取っても、
だれにも批判されないってことはない。
だけど、「いろんな人がいる」という理由で自分を片づけることが、
僕にはどうしてもできなかった。
You take my soul with your smile
See your face in my head
I try to get a grip and seize the glory days‘君はその笑顔で僕の魂を連れて行く
monoeyes / When I was a king
頭の中で君に会えるよ
栄光の日々をとらえようと掴むところを探してる’
解散から10年が経とうとしていた、それでも僕は細美を聞いて、頭の中にはまだステレオマンがいた。
よく遅刻するたびにSurrering Associationが流れて、上司に怒られるたびにMy favarite songのドラムが鳴り出した。世間の立派とは程遠い君には理解できない大人だと思う。残念ながら今でも、えらい大人の仲間にはなりたくないし、なれそうもない。たぶんそうだろう。常識だってないし、いまだに君たちのバンドのTシャツは捨てられずにいる。
本当はこんな風になるつもりじゃなかったのかもしれない。
こんな風に思ったことはあるか?自分が、世界で一番役立たずな人間だって。
はじめてみたのは高校のときだった。スペソニツアー。大勢の人が待つ中、リハから突然サーフライダーに流れ込んだ。ライブに行ったことがある人にはわかる、特有のあの流れだ。毎日聞いていた曲が本当にかかったとき、鳥肌で空が飛べそうだった。現に飛んだ。はじめてだった。ダイブだけじゃない。温かい気持ちで満たされた気がした。僕の中にずっとあった喪失感は、いつのまにか姿を消していた。
時間だ。波が高くなってきた。俺のボードをもってこなくっちゃ
あのとき、君の音楽がなかったら、こうはならなかったのかもしれない。
周りに合わせて、静かに息をしながら、うまく人と合わせていけていたのかもしれない。
もしかしたらその方が幸せだったのかもしれないと思うこともあるんだ。
「仕方のないことなんだ」、と「現実を見ろ」が口癖の、立派な大人の方が。
へんかな、君ならなんていうんだろうな。
曲の中から、懐かしい匂いがするたびに、どこかでくすぶってる自分の脳内が揺れて早く出してくれって叫び出すときがあるんだ。
誰かじゃない自分が、とても価値があるように思えることがあるんだ。
THE BOYS ARE BACK IN TOWN
2018年3月、ELLEGARDENが復活することを知る。
THE BOYS ARE BACK IN TOWN
ツアータイトルをみただけで目の前が潤んだ。
すべてを賭けてもいきたいと思った。
このさき、僕の行きたい全てのチケットが外れてもいいとさえ。あの瞬間に戻りたいと強く思った。
けれど、現実は想像よりも厳しかった。
公演は3回きり。1発目は東京・新木場スタジオコースト。2発目は仙台。3発目は千葉マリンスタジアム。
プレミアがついたチケットの倍率は300倍くらいじゃないかとまで言われた。特に初日、新木場スタジオコーストは絶望的だった。
1次先行、2次先行が終わった頃。僕の周りの音楽友達を含め、30人弱はいただろうか。ただの一人すら、誰もどこにも当たらなかった。チケットは本当に販売しているのかすら疑問に思ってしまうほどの確率だった。友達の何人かは、もう当てることだけを重要視して、千葉マリンスタジアムの2Fを選んだりしていた。
「あたんなきゃ見れないから」なんて言っていた。
ネットに出回る高額チケット転売。阿鼻叫喚のツイッター。注意喚起する公式。それでも尚、売れ続ける転売のリストを見ながら僕は、それでもコーストにいけると思っていた。信じていた。夢をみてたのかもしれない。
3次発表の昼過ぎ、祈りながら開いたメールを見て、会社で絶叫した。
現実になった。一生分の運を使い果たしたといっても過言ではない、スタジオコーストのチケットを、三次予選で当てた。当たった、と言いたくないのは、俺の祈りが届いたと信じたいからだ。
スペソニツアー。2007年のロッキンのグラスステージ。休止ライブのスタジオコースト外組、いつも一緒にいた親友に電話をかけた。一緒に行こうと言った。電話越しに親友は、「夢みたいだな」と言ったまま、なにも言わなかった。
有象無象の譲渡希望ボードの中、僕らはスタジオコーストの中にいた。
細美が事あるごとに言っていた、supernovaのイントロが本当にかかった瞬間からすでに僕は空中にいたと思う。
時々、君が望むような男になれるんだ。夢の中だけ、だけど。
そこから先、僕の記憶は曖昧だ。3回くらい酸欠で倒れた。金星で肩を組んだときは泣いててよく歌えなかったけど、隣にいるやつも同じ感じだった。
たったひとつだけ言えるのは、あの瞬間、僕の「心の真ん中」は、確かに埋まっていたってこと。
アンコールで、10年ぶりに親友が飛ぶのをみた。曲名はBBQ Riot。
君のことを思い出すんだ いつかビーチで会おう
10年ぶりにまた、ELLEのツアーのTシャツを買った。
背面には、大きな宝箱が描かれている。
俺にとって宝物っていえるものはあまりない。すぐに捨ててしまう。
けど、この宝物だけはきっとずっと捨てないでいると思う。どうせ俺はクソッタレだからさ。モッシュピットで会おうぜ。
My cell phone is ringing
ELLEGRADEN / Surfrider Association
I don’t care I know I’m dumped
Hell I know you can’t stop me
携帯が鳴ってる
俺は気にしないよ 俺はどうせクソッタレさ
まあ おまえに俺は止められないよ
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