2019-04-30

君島大空 _ 反射した光の果て

日常の雑音が消えてゆくような、そんな錯覚に陥りました。
それは、目を覚ました状態で続いてゆきます。美しい旋律に溺れ、ギターの歪みに幻想を覚えます。
「音楽による可視化」をテーマに楽曲制作を続けている
音楽家・君島大空の、ソロ名義では初の音源となる『午後の反射光』がリリースされました。
言葉も出ないほどに、とても美しい作品だと思いました。
君島さんが音楽を始めた頃の、懐かしい楽曲も多く収録されています。

シュルレアリスムからの影響を強く感じさせる文学的な歌詞に、90年代を彷彿とさせる、有機的で繊細なサウンド。
男性性・女性性、その一切を感じさせない中性的な歌声からは、
希望的で絶望的で、溶けそうなそれらに覗き込まれている感覚に陥りました。

構成主義を彷彿とさせるコラージュを用いたジャケットを通じて、
分解された記憶・景色は、芸術によって再び構築に捧げられます。
夢と現実の矛盾を肯定されているかのような、哲学的な音楽となっています。

音楽を聴きたくない、やりたくもない日々を過ごしている最中に完成した曲が「遠視のコントラルト」

「遠視のコントラルト」では、ゲストミュージシャンとして、
くるりやKID FRESINOなどのサポートをつとめる石若駿が参加をしています。
詩情的な旋律が錯乱する最中に、石若の突き詰められたドラムサウンド。
その時折に栞を挟んでくれているかのようでした。

Aメロから受け取ることの出来る、説得力のある重奏は、Bメロの優しい言葉に助けられています。
乱射した光に埋め尽くされる、儚げな景色、サビで一気に解き放たれる解放感。
それらは、君島さんの内面世界から導かれた結果なのかもしれません。
君島さんの歌声は、濁った光景も透き通った光景も全てを伝達してしまいます。

〈乱射した言葉は空虚を舞う〉という歌詞の向こう側にある、憂鬱を重ねた感情。
曖昧な言葉を嫌うがあまり、明日の肯定をできず、その一方で午後の陽射しに対する愛を求める後ろ姿。
歌詞だけではなく、音だけでもない。
陽射しのようで、祈りのようで、それはまさに「存在」だと思いました。

容易く色は変わって、遠視のレンズ越しに消えた。

君島さんはこのEPについて
「一瞬の景色を音楽によって引き延ばし、聴いてくれる人の、瞳の裏側に映し出したい」と語っていました。
この作品において、詩情的な一貫性を感じる事ができるのは、
君島さんが、君島さん自身の感覚・感性に耳を傾け、
その音楽性を着実に、そしてゆっくりと進めているからなのだと思いました。

午後の一瞬の陽射しには、確かな美しさが存在しています。
君島さんは音楽を通じて、それを永遠のものにしようとしています。
希望的で絶望的。それらに伴う緊張感に、私はこのEPを通じて自身の感情の可視化を試みたいと思いました。

明日も、少しでも、優しい景色を受け取る事ができますように。

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