或いはそう、そうだね。
蝦夷の地にひとり佇む、江戸から来た女の子がいましたね。
あの娘って誰?
そう、それは例えば、透明少女。
1999年8月21日北海道石狩湾特設ステージ / RISING SUN ROCK FESTIVAL in EZO
私は、向井秀徳の頭の中に住んでいるであろう少女に憧れています。それは嘘っぽく笑い、笑い狂っている少女たちのことを指しています。青春を疑い続けた学生時代、自分を疑い続けた日常生活。こんなにも殺風景な景色に重なるナンバーガールは、絶対な存在でした。それは実写的で、とても現実的だと思いました。
1997年11月6日 1st / SCHOOL GIRL BYE BYE
1999年7月23日 2nd / SCHOOL GIRL DISTORTIONAL ADDICT
2000年7月19日 3rd / SAPPUKEI
2002年4月26日 4th / NUM-HEAVYMETALLIC
冷え切った日常、狂気に満ちた妄想。向井秀徳の頭の中に住んでいるであろう少女たちは、アルバムの中で成長をしていきます。通じ合えない熱意に降り積もる感傷。向井秀徳(Gt / Vo)、田渕ひさ子(Gt)、中尾憲太郎44歳(Ba)、アヒト・イナザワ(Dr)による圧倒的な轟音、そして静寂。メンバー四者四様の変態的なバランスにより記録されてゆく楽曲は、アルバムの中で成長をしていく少女たちであり、私は彼らの音楽を通じてそれらを傍観します。
1995年から2002年までの活動期間、ナンバーガールは計4枚のオリジナルアルバムを発表しました。街灯は、消えた野良猫を探し続けます。前期(1st〜2nd)のアルバムからは、向井秀徳が影響を受けたというPixiesやPavementの存在が、直接的に連想させられます。「この曲は何度やっても飽きなかった」という「omoide in my head」(1st / SCHOOL GIRL BYE BYE)。学生時代への憧れと、鬱屈としている自己を揺さぶる少女への執着。ポップなサウンドに織り交ぜられた意図的な歪からは、初潮という祝福をされる事もなく迎える第二次性徴、思春期の最中にある異常な執着、そして確立された自意識を受け取ることが出来ます。
嫌悪の蔓延する都市で自嘲気味に笑う少女。足早の男に手を引かれ嘘っぽく笑う少女。
それは正常なのか、異常なのか。未だよく分からないそのギターの残響ノイズは雑踏であり、加えてその一切を表しているようでした。向井秀徳の冷凍都市に対する悪感情は、少女たちの表情を、ゆっくりと偽りのモノにしていきます。タッチ、日常に生きる少女、そして透明少女(いずれも2nd / SCHOOL GIRL DISTORTIONAL ADDICT)。ナンバーガールの曲に登場する、無垢な少女たちの性的な微笑みに、冷凍都市は、漠然とした愚かさを与えます。
caroline rocksが憧れたナンバーガール、ASIAN KUNG-FU GENERATIONが堕ちたナンバーガール。現代のバンドシーンに多大な影響を及ぼしたのは、これら前期に込められている、ローファイ且つ一貫した攻撃性、何かが足らない首都交差点、そして、向井秀徳による楽曲の物語性にあるのではないかと思っています。ナンバーガールを聴く者を待つ、何者でもない季節。存在しない少女。
美しい妄想と残酷な現実は、直接的な言葉を放棄します。そう考えると、私の持っている様々なそれらは、今までも、これからも、世の中の何の役にも立てないのかもしれません。儚さを思えます。「SAPPUKEI」と名付けられた3rdアルバムについて、向井秀徳によって吐き捨てられる言葉からは、都会に対する不快感や、喧騒を受け取る事ができました。「TRAMPOLINE GIRL」での飛び降り自殺。その歪みに歪みきった光景を傍観する「BRUTAL MAN」。情景に合わせるように爆発する中尾憲太郎のベースに、アヒトイナザワの撃ち殺すようなドラムが重なります。
振り返ると、少女はそこに立っていました。中でも異彩を放っているのは、4thアルバム「NUM-HEAVYMETALLIC」に収録されている「性的少女」。「Tombo The Electric Bloodred」(4th / NUM-HEAVYMETALLIC)で笑いながら待っている少女ではなく、「I don’t know」(7th single)の夕暮れ族の少女とも異なります。不穏なリフから始まるこの曲には、季節と季節の変わり目に恋をする、名前のない少女が存在していました。誰かに汚された少女の言う“どうでもいいから”という歌詞に添えられているのは、何かを求めるように掻き鳴らされる田渕ひさ子のギターサウンド。不安は充実。前期にはなかった息苦しいほどの緊張感、そして青春の終わりが、後期(3rd〜4th)のアルバムにはあると思います。少女たちは成長していきます。退屈な日常では、そんな感傷さえも娯楽になるのかもしれません。
向井秀徳の、少女に対する妄想と加速する想像が混ざり合うそれ、即ち、ナンバーガール。
静止した夕暮れ、無関心なビルの屋上、不愉快なセーラー服。暴力的なジョークはいつの日も不安定で、それはとても美しいと思いました。取りこみ損ねた青春は、今も冷凍都市に置き去りにされているのでしょうか。私はそれらを本物だと思い込み、義務的に、少女への憧れに動きます。私は、向井秀徳の頭の中に住んでいるであろう少女に憧れています。
初めましてナンバーガール。
2019年、RISING SUN ROCK FESTIVALで会いましょう。
コメントを残す