2019-06-09

Numbergirlの残した不可解さ

鋭角的焦燥音楽、これ即ちロック

金切り音。
ギターが叫んでいるような音。
丸メガネをかけテレキャスターと叫ぶ男と、エビゾリをしたような少女の弾き方。傷だらけのジャズマスターからでる轟音。このとんでもないギターの音の正体が、この女性が弾くあのギターから出ているのか。ナカケンベースのブリバチ回す低音、これが金切り音と混ざることで、ユニゾンすることで全く違う表情になっていく。’混ぜるな’と書かれた薬剤を混ぜたことはあるか?僕はもちろんないが、聞いたことはある。まさにそういう、何かが起こる、起こる前の不穏な音だ。そして後ろにいるあどけない少年のような男のドラミング。人間性が音に出るというが、まるで震えているようなリズムだ。一心不乱に渦を巻くようなグルーヴ、タムの残り音の伸び方は一体なんだ。一回叩いただけなのか、今。拍数はいくつだ、パァンパァンと小爆発を起こしたようなキメはなんだ。この4人がいとも簡単そうに、爆発を起こしているこのカオスは、計算されたものか?

「売れる売れない 二の次ネ。」

聴きたい音楽とは何か。僕はその答えの一つが、分からない音楽だと思う。
聞きたい音の背景に思想があり、構成もすごくよく練られている。しかし、全く掌握できない。何度聴いてもわからない。その「不可解」の部分があること。わからないから、知りたくなる。わからない、それが言葉にできない一番の理由だ。わからないのは、ジャンルの背景か、リズムの拍数か、それとも思想自体か。なぜ曲群がここまで熱を持つのか。矛盾しているようだが、ナンバーガールを言語化する、僕の出した答えはその不可解さだ。

理解と誤解の間

一見無関係に見える1つ1つの音の粒が、合わさることによって大きな渦を形成している。聴いている者が、いつのまにか中心に引き寄せられていくような、力強い渦だ。根源的と言ってもいい。

彼らがそれをまるで、当然のように打ち鳴らすことの痛快さ。違う時系列から突如、現世に紛れ込んできたかのような突然変異。彼らはそれを鼻にかけず、大きく声に出すこともなく、平然と、ただ目の前に渦を再現する。「かっこうのよろしい曲」の演奏はそうして、短期間の間に幾度となく、簡単なことのように再現されてきた。いつしかリスナーをも巻き込む音の渦は、熱狂が熱狂を呼び起こし、見た目には分かりづらい数多くのフォロワーを生んだ。時代背景も絡んでくるが、表面のビジュアルで盛り上がることが多くなった現代と違い、音そのものやそのバックホーン、スタンス、MC、音楽に対する姿勢で人を惹きつけていたと言える。

ただ平然と演奏される、不可解でカオスな曲を聴いて、脳が覚醒を起こしたかのようにクリアになる。常識や、規則、ルールや定説。そういう世間で一般的な縛りを軽々と飛び越え、それでいて飄々とそこにある曲群に、救われる人たちがいる。なぜか。「そうなっている」曲が、リズムが、メロディが、どこにもないからだ。ひとたび大きな渦に引き込まれれば、個人のわかったような言葉や、ジャンルを物知り風に語る音楽通や、似る似ていない論争はもう聞こえなくなる。そのノイズは、渦をより強固にするための材料にすらなり、即ちあらゆる事前情報からの脱却になる。ただひたすら、その渦に身体を預けることができる。不可解は、ナンバーガールが持つ唯一のものであり、この渦の壁が、彼らのアイデンティティだ。

「理解」した音楽。

1990年代は、天才的なバンドが数多くいた。ナンバーガールも、間違いなくその1つだ。
最近では星野源のカバーや、アジアンカンフージェネレーションのカバーなどでも名前が出てきて(どちらも「透明少女」なのは聡明だ、まだわかりやすい)そこから初めてバンドの名前を聞いた人が、不思議な顔をして「’アレ’はなんなの?」と言う(この時、この質問者は女性の方が好ましい)。ナンバガを聴いている人ほど、形容しがたい思想や言語化にしくい不可解さの間で苦悶するだろう。それで、嘘っぽく笑いながら、どうにかこうにか、アルバムや音源を紹介し、一通り聞いた相手が、こう言うことを期待しながら。

「なにこれ、分かんない」

ッツー、スリー、フォー!!!

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