20年間の信頼と感情の大きさ。
それらに比例する、ストレイテナーのドラマティックで幻想的なバンドサウンドに、
私は今まで、たくさんの時間を奪われてきました。
決して緩むことのない緊張感、深い森、どこからか聴こえてくる古いマーチ。
彼らの音楽が、彼らの存在が影響を与えたであろう、その先に生まれ続けている何か。
私はその“何か”についての存在を確定させ、手に入れるために、今夜もストレイテナーの音楽を聴き続けています。
樹々の緑の輝きが変わり始める季節は、君の瞳の煌めきが終わり始める合図。
人を傷付けて何も思わない人間なんているはずがない、
そんなのは、人の形をしているだけの、ただの人形だ。
俺はそんな人形にはなりたくない。
俺は、“Man-like Creatures”にはなりたくないんだ。
無知について、無関心について。
“Man-like Creatures”という曲は、
弱い者がさらに弱い者を叩いている世の中の負の空気に対して、警鐘を鳴らした曲。
当時のインタビューで、ホリエはそんな台詞を口にしました。
その台詞には、ストレイテナーの根底にある、静と動が刻まれているように思えました。
ハイハットの突き進む音響に重なる、静かで文学的な歌詞。
畳み掛けるように進むそれらからは、灰色の原風景、または心情風景に溶ける孤独、
そして少しばかりの救いと、諦めきれない希望を汲み取りました。
反転を繰り返しながら近づく間奏に錯乱される、脳内のストロボ。
中毒性を内包するかのようなホリエの機械的なリフレインに、大山の生々しいギター。
然るべき思想から解放されたバンドサウンドは、
後半に向けて、世界の輪郭を確かなものにしてゆきます。
悲観的で儚いアルペジオの始まりからは予想の出来なかった、想像を超えるエンディング。
感情的なそれに、私は息を飲む感覚を覚えました。
向こう側に意味を持たせるということ、大きな灯りを待ち続けるということ。
2008年の大山の加入を機に、ストレイテナーの物理的な解像度は勢いよく上がりました。
感情を磨り減らしながら演奏をしていた彼らにとって、大山の加入は救いだったのかもしれません。
灰色の原風景に色を塗るホリエの色深度はより拡がり、
音が、光が、その全ては今まで以上に鮮やかに、そして穏やかになったように思えます。
悲しさではなく寂しさとして刻まれた気持ちについて、裏切りはありません。
信頼の出来る音楽、信頼をし続けるべき音楽。
シンペイの艶やかで冷静なビートと、RADIOHEADを敬愛するホリエの繊細なメロディ。
メンバーが変動しても、ストレイテナーの音楽性が維持されているという事実が、
この楽曲にはとても色濃く現れていると思いました。
変わらないままに続けることは、とても難しいことなのかも知れません。
だけれど、それでも。
私は期待をしてしまいます。
思考の止まりそうな生活に、
見たこともない鳥が犠牲にした空。
樹々の緑の輝きが変わり始める季節は、君の瞳の煌めきが終わり始める合図。
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